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68大間見諏訪神社懸仏・洲浜草文盤
延暦元年(782)当村田代友久という者が、信濃国諏訪神社から勧請して、友久地内に祭ったと伝えている。現在の本殿は昭和41年に大野郡泉村上伊勢白山神社の社殿を移したものである。棟札によれば、この間4回の再建や修理を実施、祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)であるが、懸仏が納められている。明治14年の修理は友久から重光(現在地)への移築が実施されたときである。 懸仏が9面、州浜草文盤1面、銅板鏡面15面がある。 懸仏3面(虚空蔵菩薩) 径20pのものは二重圏が塗金され、鏡面は銅板銀磨きで花型の天蓋(てんがい)と華瓶(けびょう)が付き、仏高は8pでなまこ板の舟型光背がある。 径11.5pのは仏高5.5p、花型天蓋と華瓶が付き圏縁破損。径が11pのは仏高4pで花瓶付き、1p幅の一重圏がある。 懸仏3面(薬師如来) 径11pで仏高4.7p、火焔光背、華瓶があり天蓋の跡が残る。径が9pで仏高3.5p、天蓋の跡あり。径8pで仏高4p。 懸仏3面(十一面観音) 径9pで仏高7.5p、火焔光背と華瓶付き。径7.5pで仏高3.2p。径7pで仏高3.5p、天蓋あり。 州浜草文盤1面 径4.8pで塗金し、水辺に水草が彫金してある。 当社の懸仏は非常に高肉に仏像が造られているので、室町時代のものと思われ、高賀山や白山など山嶽信仰や修験者との関係、白山街道の関係など、中世の歴史を語る貴重な資料である。 |